持ちたい理由は誰も問わない。しかし、持たない理由は知りたがる。

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本「簡単に暮らせ」

当ブログ「簡単に暮らせ」が書籍になりました。

8刷決定しました。8/19電子書籍リリースしました。
朝日新聞、読売新聞、毎日新聞に広告掲載されました。

      

こんにちは

こんにちは ちゃくまです。

「持ちたい理由」は誰も問いません。けれども「持たない理由」は知りたがります。不思議に持ちたい理由を疑問に思い、あれこれ詮索するネタにされることは少ないようです。ところが、なぜか誰にも迷惑をかけていないはずの「持たない理由」に関しては「どうして?」「なぜ?」と疑問を抱く人はまだまだ多いようです。最近は「持たない暮らし」をしている人に注目が集まっています。「これは良い方法だ。」と共感したり良い意味で興味を持つ人がいる反面、一方では、疑問視したり、ひどい場合は非難や嘲笑の対象にされることもあるようです。

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 「たくさん持つほど良い」という長い年月の価値観は根強い

それは、おそらく長きにわたり「たくさんの物を持ち、お金の使い方も豪快で人脈や行動が華やか」であるような人が注目の対象とされた時代が長かったことも要因しているでしょう。それに対して「持たない暮らし」を開始している人の傾向は、「控えめ」です。元来の人脈やお金の使い方、普段の生活も特に目立つこともなく、大人しく暮らしている・・本来は目立つことを控えているようなイメージがあります。実際は全ての人がそれにあてはまるということはないでしょうが、傾向としてはそんな感じではないでしょうか。

「持たない暮らし」を自然と取り入れていた人の傾向は(スティーブ・ジョブス的な一部の有名人やセレブなミニマリストをのぞき)「地味で大人しい」です。だから長い間、ずっと「持ちたい派」の人が注目される対象でした。「持たない派」の人は注目されるも何も、「地味」の観点に追いやられ、それを「方向性」として把握されることにすらなかったのです。

ところが最近の「持たないブーム」にあって、持ちたい派よりも持たない派が急に注目され始めました。おそらく、それが「持ちたい派」であり、もともといつも「注目されてしかるべき」だった立場の人たちの癇に障ったという点も多少はあるでしょう。これまでは、他の人より物を持ち、豪快な金銭感覚で物を消費して、目立った行動をとっている人が常に注目の対象だったのです。しかしそれは、メディアの戦略であった可能性も大いにあります。

「多いほど良い。」「たくさん消費するほど良い」「たくさん買うほど良い」という「もっとお金を使わせて買わせるための戦略」です。ところが最近はそれが揺らいでいます。それは時代の流れであり、同時に人が何に不安を抱いているか、そしてどのように対策を取っていくか、というタイミングにも沿ったことです。

同時に、ネット情報があることで誰でも多様な情報を収集できるようになったこともあるでしょう。過去のようにテレビと雑誌だけが情報ではなくなったのです。

 たくさんの物を持つなら管理コストと整理要因が必要

つまり、人々はより、賢く堅実になっていると言えます。もうメディアの小手先のごまかしは通用しない時代になっているのです。本来、物をたくさん持つことは、多大な管理のコストがかかるはずなのです。ところが、物を手に入れる段階で管理のコストを考えずに家に入れてしまうから、問題なのです。多くの人がその真実に気が付き始めたということでしょう。

現代日本では多くの人が気軽に物をたくさん買えるようになったので「裕福になった」と錯覚しています。けれども実態は、買った物をきちんと管理できず、保管スペースも不足しています。つまりは裕福でも何でもない、実態は裕福になったわけではないのです。

管理資金やスペースを持っていないのに、物だけを安易に取り入れてしまう。だから物であふれて当然です。物を持つこと自体に問題があるのではなく、管理がうまくできるかどうか、が重要です。

 たくさんの物に罪はない

その証拠に、もともと、古来の裕福な人、大名や豪商、豪農は庶民と違い、たくさんものを買いますが周辺が物であふれたりはしていません。理由は、物を買うということは、保管スペースとそれを管理する資金と人員を確保することが不可欠と認識していますし、それらを用意したうえで手に入れているからです。図書館や美術館や博物館には、たくさんの物が保管してあります。これらは多大な資金をかけて管理されています。だから全てが文化的な財産として活かされています。

現代日本では庶民でも、まるで誰もがお金持ちであるように、気軽にユニクロの服や100円ショップのものを複数買う事が可能です。けれども、そのあと、つまりは保管するスペースも、管理する人員も、保管する上の管理の資金も収納スペースも全く確保していないまま、ただただ「買う」という行為だけを実行しています。物を手に入れるという事は、本来、保管スペースと管理をできる資金を十分に確保してはじめて実行できることです。本当に裕福な人はこれが可能ですが、一般庶民では、私を含め、実は「買った後」の資金を十分に持ち合わせている人は滅多にいないのです。

そして一般庶民の居住スペースにちょうど良い持ち物の量とは、本来、最近「物を多く持たない」人たちの持ち物の量が適正量だったということです。そのことに皆が気付き始めたのです。日本の庶民の住まいと所得に対しては、そのくらいが本来、管理しきれる量だったのです。つまり、「物をたくさん持たない」的な現象とは「原点に返っているだけ」です。

もっとも、「裕福だけど、物を持たない暮らしをする人もいる!」という反論があることでしょう。確かにそういう人もいます。けれども、最近日本で「物を持たない人」が話題に上るのは裕福な人ではなく、庶民です。

かつて、物が少ない事とは不足していることであり、「欲しいけど手に入れられない」印象でした。ところが最近の「庶民の物をたくさん持たない人」とは、「物が少なくても自分がほしい物、必要な物は全部持っている」状態です。だから客観的に見れば持ち物は少ないのですが、当人は全く困っていません。また実際のところは「世の中の金銭的事情が、どんどん厳しくなるに違いない」予感に対する自衛策もあるのでしょう。物をたくさん持つことはコストがかかるからです。

けれどもよくよく考えれば、「それらは本当に必要なものではなかった、なら、今後所得が減ったとしても全く悲壮感を抱かずに暮らしていける」と「厳しいかもしれない将来」に何とか備えていこうとする策も、本音にあるのではないかと推測しています。

「今後、たとえ各自の所得が減っても、持ち物を減らして無駄を削る、そうすれば悲壮感を抱かずに幸福感を得ながら暮らしていくことは可能だ。」

物を少ししか持たない生き方が注目されているのは、世間全体の将来の見通しが明るい物とは思えない現状も背景にあるのでしょう。そして「所詮、物を持たないなんていうのは言い訳」と非難を浴びやすい空気があります。それは、薄々感じている「今後、多くの人に訪れるかもしれない経済的な厳しさ」が「自分の身にも降りかかるかもしれない」と」不安に気付きたくない」側面もあるでしょう。

実際に物をたくさん持たない暮らしをすれば、少ない収入でも、不足感や悲壮感を抱かずに生きていけます。ところが最近は、少ない収入でも満足して楽しく暮らしている人がいる、それが持たない暮らしのベースになっていたりします。

「持たざる者は、本来、もっと小さくなっていてしかるべき」という過去の価値観がぬぐえずに、どうしても非難したくなってしまうのかもしれません。そしておそらくは、ミニマリスト的な生き方に批判的な意見をする人というのは何だかんだ言って、そうした価値観に興味を持っているのです。

興味があるから批判という視線をするのです。本当に、自分の価値観に合わない、関係ない、とんでもないと思っているなら、スルーします。意見も何も発生しません。自分の意識へのかけらも印象に残らないはずです。「意見せずにはいられない」のは強い関心の裏返しです。そういう意味で、賛成派も反対派もどちらも大きな関心を抱いている人が多いということです。

さらには、羨望の在り方も変化しているということです。かつては「持っていること」が羨望の対象でした。けれども現代日本では、まだ一部かもしれませんが「持たないこと」が羨望の対象へと変化しているんですね。

ただ、これについては、若干、こんな可能性も抱いています。それは「いったん、物を手放させてから再び手に入れさせる」という戦略を施されているのではないか?という可能性です。

どこからともなく、いったん、物を手放させて、次第に人がまた物を買いたくなる流れの傾向を誘導している可能性です。

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