自分を卑下する発言は即、捨てたほうがいい

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こんにちは

こんにちは ちゃくまです。

「どうせ私はバカだから。」

何かにつけ、こう、締めくくる人がいます。一見、謙遜しているかに見えますが、こういう言葉を自ら発して得することはひとつもありません。それどころか大損します。

本当はバカではなくても「バカだから」と言えば、それまでは、そんなことを微塵も思っていなかったのに、それを聞いた人は「ああ、そうなんだ。」と思ってしまいます。

これと似ている発言には次のようなものがあります。

どうせ私はブスだから

どうせ私はデブだから

どうせ私は貧乏だから

どうせ社畜だから

どうせおっさん(おばさん)だから

どうせ片付けられないから

どうせ捨てられないタイプだから

一見、欠点を表す言葉のオンパレードです。けれども、そもそもが、一般的な解釈は偏ったものなのです。だからたいした意味を持っていません。

  • どうせ私はブスだから→容姿の価値観は時代や国で変化する
  • どうせ私はデブだから→現代日本のメディアが異様にスリムな体形を推奨しているだけ
  • どうせ私は貧乏だから→何をもって貧乏とするかの判定が難しい。収入が多くても支出が多くて内情が火の車の人、収入が少なくても赤字を出さずに満足して心豊かに暮らしている人もいる
  • どうせ社畜だから→個人事業主、給与所得者、どちらにもメリット、デメリットはある
  • どうせおっさん(おばさん)だから→年齢を重ねていることが良くないとは限らない
  • どうせ片付けられないから、どうせ捨てられないタイプだから→片付ける人、片付けない人、捨てる人、捨てない人、双方の人がいるから世の中はうまく回っている

同時に相手に余計なフォローをさせるから疲れさせるのです。

「どうせ私は○○だから」

その言葉を聞いた人は、もれなく

「そんなことないよ。○○じゃないよ。だってほら、こうだしああだし。ほら、全然○○じゃないでしょ?」

と、フォローを入れなくてはいけません。

つまりは

「どうせ私は○○だから」

というのは変化球の自慢なのです。

自分で言わずに相手に良いところを言わせるための戦略と化すのです。「どうせ~」の発言が多い人は、相手からフォローされることによって、良い気分になることを期待しています。つまりずるいのです。

同時に、自分に暗示をかけることになります。「私はバカ」と、いつも言っていると、相手も「そういうものかもしれない」と思うし、自分でもそうイメージしてしまいます。

だからなおさら怖いのです。

かつての友人から、こんな話を聞いたことがあります。銀行の窓口に行った時の事だそうです。用紙に記入したのですが、記入ミスがいくつかあって書き直すことになったそう。それが友人にとっては屈辱だったようなのです。

「そんなこと、別に珍しくないんじゃないの?」

と思います。銀行には年齢、職業問わずいろんな人が来ます。事務手続きに慣れている人もいるでしょうが、そうではない人も大勢いるはずです。

ところが友人は、窓口の人から「記入の訂正が多いので、こちらの用紙に書き直して下さい。」と言われたので、「私がバカだから、書き直すことになってしまったんだ。」と、ショックを受けたという様な事を言うのです。

状況を見たわけではないのでわかりませんが、バカだから書き間違えたのではなくて、用紙の様式がわかりにくいのかもしれないし、単に事務処理の都合の関係で「書き直して」と言われただけの可能性もあります。

そもそも、極端な話、東大卒の人だって、銀行窓口の書類を書き間違える事は普通にあると思います。そのくらい、能力の有無に関係なく誰にでもある普通のことです。

ところが友人は「私はどうせバカ」というセルフイメージがあって常にビクビクしていたのでしょう。だからどんな言葉でも「私をバカだと思っている」という前提で受け止めてしまのです。

私の場合ですが以前は、ネットバンキングが普及してからは滅多に銀行の窓口には行かなくなりました。

ところが久しぶりに窓口に行ったとき、一瞬、用紙を目の前にして、ちょっと戸惑いました。

けれども、最近の銀行はサービスが行き届いています。窓口に提出する前に、店内には案内係のスタッフが2名ほど常駐しています。

すると、まさに「サルでも理解できる丁寧さ」で一つ一つ記入箇所や金額を教えてくれました。私がサルだったとしても理解できるように説明してくれます。必要な用紙も取り出してくれます。だから、全く迷わずに書くことができます。

もっとも、一旦、窓口に提出して記入ミスを訂正るつよりも、事前にスタッフが案内をして、ほぼ完ぺきに仕上げた用紙を一回で通過させる方が断然、窓口の回転は良くなるでしょう。同時に、振込詐欺などに引っかかりそうな可能性のある人を発見しやすくもなるでしょう。

つまりは、本来、そのくらいの丁寧さと分かりやすさがスタンダードなのです。わかりにくくて記入ミスをしてしまうようなことは客側のせいではありません。

同時に「記入ミスは応対スタッフを常駐させるほど、多い」という事をも表しています。

ところが本人が「私はバカ」と卑下していると、全てが自分を責めている言動であると受け止めてしまいます。

「書き直して下さい」という発言は同じでも、ただの事務的な問いかけでさえも「バカにしている」と受け止めてしまうのです。

同時にそれは、自分が別の分野では、他人を見下している側面があるということです。他人をバカにするという発想がない人は、他人が自分をバカにしているかもしれない・・などとは思いもつきません。

「バカにしている」と感じるのは、何より自分が、誰かをバカにして安心しているのかもしれません。そういう感覚があるから、他人も同じように感じるはずと思ってしまう可能性があります。

世の中には人を罵倒する心無い単語が多数存在しています。その中でも「バカ」ほど曖昧なものはありません。最近登場した「社畜」なんて言葉も同じです。

自虐的な言葉というのは、一見、自分を謙遜しているかに見えて実は傲慢な面があります。

この他には、本人の努力ではどうにもできない事があります。例えば年齢的なことです。他人に対してバカ、ブス、デブ、貧乏、社畜という人は滅多にないでしょうが、面と向かって言わないまでもしばしばネット上でよく見かけるのが「おっさん」という言葉です。

おっさんと表現する状況とは厳密には単に年齢的な事ではなく、現状に甘んじて思考停止している人の事を指すのでしょう。けれども、年齢が若い人が自分の事を「おっさん」と自ら言わないように、「おっさん」には年齢を指す割合が8割くらいあるのです。

年齢はどうあがいても誰も逆らえる人はいません。本人の努力で変えられるものでもありません。ところが自分はたまたま年齢が低いというだけで絶対的に安全圏に立ったうえで「おっさん」と発するわけです。だからこそ「おっさん」に類する表現を多様するのはやめたほうがいいです。

たまたま年齢が若いというのは、自分の努力でもなんでもないものです。にもかかわらず、それを自分の武器とした上で「おっさん」呼ばわりするのはフェアではありません。

自分を表現するときに、自虐的な言葉を発しない代わりに、相手に対しても同じように貶める表現をしない。それこそが重要です。

「物」は人によって価値観が様々です。けれども自分や相手を貶めるだけの言葉は誰に対しても無駄なものに違いありません。こういうものこそ、どんどん捨て去るべきです。

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