「スピリチュアル的な事を一切信じない」と決めるだけで、考えと行動が前向きになる

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こんにちは

こんにちは ちゃくまです。

いわゆる「スピリチュアルな事」は「一切信じない。」と決めて暮らすようになってから10年以上になります。代わりに重視するのは現実にシンプルに向き合うことです。

けれども、私が子供の頃は、ノストラダムスの大予言、某テレの昼の番組の夏休み特集「あなたの知らない世界」、霊能者が登場して死んだはずの人の様子が全部見えるとか、ユリ・ゲラーの超能力によるスプーン曲げ、その少しあとには有名占い師の特番など、そうしたスピリチュアル系のテレビ番組がたくさんありました。

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半信半疑から「一切信じない」と決定したきっかけとは

おそらく、現在でもこのようなスピリチュアルな事柄には興味を抱き、活用している人が結構多くいるのではないでしょうか。テレビでは「パワースポット」という単語を耳にしたりするし、朝には星占いを流したりするし、風水に沿っている人も多くいるようです。

私の場合は、これらのどれも広く浅く半信半疑でした。信じているわけでもないけれど、全否定する考えまでは元々持ち合わせていませんでした。

けれども、数年前、ある本をきっかけに「スピリチャル的な事は、一切信じない。」とする方向性がハッキリ決まったのです。(その本が支持していると思われる経済論の方向性を指示しているという事ではありません。あくまでその部分的な話に共感しただけです。)

「スピリチュアル的な事を一切信じないと決めるだけで、その種のトラブルをザックリ回避できる。実際に、そういうトラブルは山ほどある」

ということです。

確かに、世の中にはそうしたものを信じたがための金銭的トラブルが後を絶ちません。「自分は騙されない。」と思っていても、当事者が過去の出来事を冷静になって振り返ると、誰しもそうしたものを少しでも信じる隙がある限り、関わってしまう危険はあるという話をしています。

以前から、スピリチュアル系の話には違和感を覚えていました。けれども、どちらの方向性を向くべきかの判断となるものが見当たらなかったのです。

文化や慣習を否定はしない

もちろん、神社に行って受験の合格祈願をしたり、苦しい時の心のよりどころにしたりという事を、日本人である私たちは、こうしたことに、ごく自然に行っています。また、地域で祭りを行ったりもします。こうした長年の文化や慣習によるものまで否定する気持ちは全くありません。

「見えない何か」に期待するデメリット

問題なのは、それらを超えているような部分について、です。また、水面下では口コミでどこからともなく「○○に良く当たると評判の占い師がいる」などの話を耳にすることもあります。

意外と、世の中の多くの人は、水面下でこうしたスピリチュアルな実体のないことに、期待をするというか、多少なりとも信じている人は多いようです。普通は、軽く関わっている人がほとんどでしょうから、そう目くじらを立てることはありません。神社でたまに祈願をしてお守りを買い、おみくじをひく・・くらいのことは、何ら構わないとは思います。

「パワースポット」などの言葉を安易に受け入れてしまう事の危険性

けれども、最近はよく「パワースポット」などと言って、さりげなくスピリチュアルなことが有効であるかのような表現がさりげなく記されていることがあります。

普通は、単なるレジャーの一環で終わりです。けれども、少しでも信じる要素が自分にあれば、何かのきっかけで、金銭的な事をはじめとしたトラブルに巻き込まれる可能性は必ずあります。「パワースポットだから」という理由で喜んで出向く人は、きっかけさえあれば、そうしたことにはまる可能性を持っています。そうならないのは、偶然です。

それまでの私といえば、熱心ではないにしろ、雑誌の後ろのページやテレビの朝の番組の星占いや、おみくじの結果や、なども広く浅く受け入れていたことがあります。

「現実を見る」と決めれば自然と行動が変わる

けれども、青木氏のその本の文面を読んだ後は、「それではいけない。」と気付かされたのです。それ以降、改めて「現実を見る。」ことに重きを置くようになりました。

すると、行動が自然と変わっていきました。例えば、身体の調子が良くないとします。以前であれば「今年は厄年だからに違いない。神社でお祓いをしてもらったほうがいいのだろうか。」なんていう発想をすることもありました。

厄年を例に挙げれば、シンプルに、その由来を知れば、恐れるその観念の世界に過剰に恐れを抱く必要がないと知ることが出来ます。

けれども体調が良くないのは、病気か風邪か、疲労か食事が原因です。疲労であれば疲労をとるためにまずは休息をとることが一番です。栄養が偏っていないかなどと食事に気を遣えば、回復することもあります。それでも改善しないのであれば、医師から診察を受ける必要があります。

スピリチュアルなことを半端にでも受け入れることによるデメリットが大きい

ところが仮に、スピリチュアルなことを半端にでも信じていた場合、「部屋の家具の配置が良くないのではないか(風水)」とか「墓参りの頻度が開いているからではないか」とか「神社でお守りを買ってこようか」などと治療のための行動に至らずに、余計な事に翻弄されていきます。もちろん、神社などでお守りを買うことなど自体が良くないというのではありません。

観念の世界は何も変えない

そうではなくて、周囲の人々の風の便りなどを聞くと、しばしば病気は医療で治すという原則を無視したまま、ひたすら「神社にお参りに行く」・・というような観念の世界に逃げてしまう現象があるようです。

病院に行って診察を受ければ、確実な現実が見えます。おそらく、病院になかなか行きたがらない人というのは、真実を直視したくない、認めたくないという気持ちがあるのです。けれども、どんな状態であれ、現実を直視しなければ、正しい方向には一歩も進めません。例えばですが、病気は病院に行き、医師に相談しながら治療することで治るものです。

他の例では、進学の合格祈願にしろ、勉学に励むことなしに願ったとしても結果が出るはずがないのは明白です。要は全てが同じ原理にあるのです。ところがしばしば、物事を「不可思議な事」と関連付けて、「ただの現象」として受け止められない気持ちが「隙」となるのです。

昔は医学や学問が発達していなかったから観念に頼るしかなかっただけ

医学、その他の学問が発達していなかった過去の時代においては、ひたすら祈る事しかできなかったことでしょう。未知であるから観念にすがるしかなかったのです。

現代はすでに説明のつくスピリチュアルな現象は多い

けれども現代は、違います。少し前には霊現象と言われたことも、論理的に説明がつく類のことはあります。そういえば、民営のテレビ番組で、芸能人の前に幽霊の格好をした人を登場させると、ほとんどの人が「あなた、ここで一体何をしているの?」と問うことをしません。勝手に「幽霊」と決め付けて恐怖を抱いてしまいます。これをドッキリとして笑うという番組です。

幽霊を見るのはそのストーリーを知っているから

興味深いのは、「幽霊という芝居を信じて恐れている芸能人の滑稽さ」ではありません。それらしい状態を目にしただけで、少女に質問もせず恐怖におののいてしまうという現象です。

それは、その芸能人が過去に「あなたの知らない世界」などの幽霊が登場するテレビ番組などを多数見た経験があるからでしょう。だから単純に「あなた何しているの?」と確認もせずに「幽霊」というストーリーを脳内で作り上げてしまい勝手に恐怖を抱くという結果を招いているのです。

「物語」は、因果関係の辻褄合わせにしばしば利用される

スピリチュアル的な概念も、そこには必ず物語が形成されています。物語があるからこそ、その存在を信じるのでしょう。物語とは、ある意味「そういう結果になった理由」という因果関係の辻褄合わせの説明です。

もちろん、慣習として神社にお参りに行ったり、お盆に墓参りに行ったりすることまで否定するものではありません。

さいごに

けれども、目に見えない、確証の持てない事に、期待をするようなことは、一切しません。その代り、観念に逃げずに、今できることに真正面から向き合う必要が出ます。現実に向き合うことは、ときに厳しいこともあります。

けれども、実際に今できること、に重点を置く流れに自然と向くようになる効果があります。

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