「もたない男」を再読した感想

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本「簡単に暮らせ」

当ブログ「簡単に暮らせ」が書籍になりました。

8刷決定しました。8/19電子書籍リリースしました。
朝日新聞、読売新聞、毎日新聞に広告掲載されました。

      

こんにちは

こんにちは ちゃくまです。

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「他人目線を気にせず、自分が思うように、好きなように自由に生きていい。」この本を読んで得られた気付きはそういうことです。同時に自由であろうとするには他人の視線を気にしないでいられる強さも必要なのだという現実を知る事にもなります。

もっとも、この本では一見、奇想天外にも思える断捨離っぷりを垣間見ることができます。誰もがその様子を見て「なぜ?」「どうして?」「物を捨てるとなんか得することがあるの?」と疑問と興味を抱きます。ところが著者である山崎氏の答えはこうです。

ものを捨てることは、私にとって主義でも美学でもありません。

そして物を捨てることに理由も動機もないと言っています。るところです。昨今の「持たない系」の本と対極にあります。

つまりは、特に理由がないけれど、とにかくスッキリ暮らしたい。それが山崎氏の望みであり、ちょうどよいと思える生き方なのです。ところが、このスタイルは当時、少数派であるために理由をだれもが知りたがります。

とりあえず多数派の意見や生き方をしていれば、誰も疑問を抱きません。そして自分も安心します。ところが山崎氏のように、少数派の価値観で生きることは他者から奇異な目で見られることがあります。社会に迷惑をかけていなくても、です。

そこでとりあえず、普通の人は誤解されないように「物を減らすと得する理由」探しを始めます。ところが山崎氏の場合は違うのです。元々、他者の視点は脇に置いて自分が暮らしやすいと思うスタイルを淡々と貫いているだけです。

そのように、他人目線を気にせずに過ごす様は、どうしても他者の視線を意識せずにはいられない普通の私たちからすれば、「なんて自由なんだろう。」と、うらやましい様な気になってきます。

同時にそれは山崎氏に他人の視線を気にしない強さがなければなしえません。自由を得るには強さも必要なのです。そういう現実と厳しさも垣間見えてしまいます。一見、軽く読める本ですが、そうしたことが根底に流れているのを感じます。

一時、片付けブーム→断捨離ブームの流れがあり、現在のようにミニマリストという造語が出るよりだいぶ前のことです。ちなみに手持ちの本の発行日を確認すると初版本で2010年12月6日と記されています。今から5,6年前です。その後、昨年あたりからミニマリストブームが起きると、この本が再度注目を浴びたようです。

ミニマリストが注目されると、「なぜ?」「どうして?」という理由と動機付けが何度も問われていました。ところが山崎氏の場合は、そもそも「理由も動機もない。」と言っています。

それに対して、持たない暮らしというか、ミニマリストを目指したい人たちは、必ず理由と動機を知りたがります。というのも「人がこれまでの概念と違う行動をとるのには、そのほうが良い何らかの理由があるからに違いない。」と考えるからです。つまりは「何か得するかもしれないから、その理由と動機を知って『得な何か』にあやかりたい。」ってことなのでしょう。

厳密には、この本の中に「持たない暮らしは、こういう利点がある。」という話は書いてあることは書いてあります。けれども、それ自体が目的ではないんですよね。「理由はよくわからないけれど、とにかくスッキリしたい。」そんなところのようです。

世の中には常に何らかの主義主張があり、同時に多数派と少数派の人がいます。当然、多数派の意見や傾向は受けいられやすく、その説明は不要です。ところが当時の中崎タツヤ氏の「持たない」主義と傾向とは、元々は少数派です。だからそこに興味を抱く人が現れると「どうして持たないの?」という疑問と質問がなされるようになります。

おそらく、「わざわざ持たない暮らしを選択するのには、何か得する理由があるからに違いない。」と普通の人は考えるのです。それは、「多くを持ちたい」という人が多数派であるからです。仮に「なぜ、貴方はそんなにたくさんの物を持っていたいのですか?」という質問はわざわざ投げかける必要がありません。長い(?)歴史において、常に物は不足している物で、手に入りにくい貴重品であったからです。

結婚する前の事です。実家ではペットとしてウサギを一匹飼っていました。ところが、そのウサギ、食べ物に関して非常にワガママでした。ウサギ用の市販のフードは食べない。仕方なく、公園からクローバー等を摘んでくるのですが、薬が散布してある可能性もあります。なので洗ってから食べさせているのですが、はっきりと農薬を散布したとわかる直後には車で山に行き、農薬も排気ガスの心配もない草を探しに行くことがありました。

そうして、しゃがみこんでウサギに食べさせる餌となるクローバーを摘んでいると必ず通りかかる人が気になる様で見に来るのです。摘んでいるのがクローバーとわかると、「え?なんで?」というリアクションをします。山なので何か山菜でも出ているのかと思うようです。「何をしているの?」と尋ねる人もいるので「ペットのウサギの餌です。市販のペットフードを食べてくれないし、公園の草は農薬が撒かれてあるし、道端は排気ガスが気になるから、ここに来て摘んでいるんです。」と答えると「な~んだ。」とがっかりしたように去っていくのです。

「なーんだ。」と言って去っていく人には当然、山中のクローバーは必要ありません。けれどもペットのウサギにとっては命に関わる重要な物です。そしてそのウサギを飼っている実家の家族は私を含め山に生えているクローバーはなくてはならないものなのです。だからわざわざ山に来てまでクローバーを摘みに来るという行動を起こす必要があります。

けれども、私を含めた実家の家族と当のウサギが必死に大事そうにクローバーを集める姿を見たからと言って、必要でない人がマネをしてクローバーを摘む必要はありません。クローバーを摘む事は主義でも美学でもなく、主張でもなく、ただただ単純に「そうする必要が自分にはある。」以上でも以下でもありません。

ところがしばしば人がやってしまいがちなのは、「必要のないクローバーを摘みにいってしまうこと。」です。それは私がせっせとクローバーを摘む姿を見て「今、クローバーを摘むと何か得することがあるのかもしれない。」と勘違いをしてしまうのです。「何に使うのですか?」と、一言質問をしてきた人はまだ、それによって」自分がクローバーを摘む必要はないと知ることが出来ます。

けれども、もしかしたら私がクローバーを摘む姿を見て「今、必要なのはクローバーを摘むことに違いない。」そんな風に早計に解釈してしまう人もいることでしょう。

私がウサギのために摘み始めたクローバーですが、事情をよく知らない人はとりあえずクローバーを摘んでみて、後で理由を考えるかもしれません。「クローバーを摘むと香りに癒される。」とか「集中力が増す効果がある。」とか「手指の運動になり脳を活性化できる。」とか、その理由付けはいくらでも作り上げる事が可能です。

最近の「持たないブーム」のような雰囲気も、どこかそれと同じような気配を感じるのです。けれども、他の人の傾向を見て、「何かよくわからないけれど得することがありそうだから、やってみよう」のノリで開始すれば、しばらくして自分にとってクローバーはただの雑草であり、煮ても焼いても食えないものに過ぎなかった・・という現実に気が付くことでしょう。

不要なクローバーを摘んだとして、害があるわけではありません。少なくとも、外に行かなければ不可能ですから、外の空気を吸えるという健康的な良さも少しはあります。けれども、本当は、自分にとって重要な別な事に費やす別の何かを忘れているかもしれません。

日常レベルの範疇であれば、たとえ世の中の多くが右を向いていても自分は左の方が良いと思うなら、そうすればよいだけです。そんなことをこの本を再読して感じました。
もたない男 (新潮文庫)

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