時短で浮いた時間を埋めては意味がない

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こんにちは

こんにちは ちゃくまです。

本「簡単に暮らせ」

当ブログ「簡単に暮らせ」が書籍になりました。
8刷決定しました。8/19電子書籍リリースしました。
朝日新聞、読売新聞、毎日新聞に広告掲載されました。

      

誰もかれもが「忙しい」と口にします。そのせいか家事の裏ワザなどを中心に「時短テク」がブームです。確かに、短時間でこなすことができれば、メリットが多いでしょう。

けれども、世の中はすでに多様な「時短」の工夫がなされています。家電、パソコン、スマホなどのデジタル家電が普及しているし、新幹線は目的地により早く到着する技術開発がなされています。おそらく、100年前と比較したら、「普通の人間と魔法使いの違い」くらい「時短」は成功しています。

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時短の技術が進んでもゆとりを感じる人はいない

ところが不思議に「時間に余裕ができた」と言う人はいません。もしかすると「時短」とは、一時的なパフォーマンスに過ぎないのではないか」の解釈ができます。これほどたくさんの技術により時短が成功しても「時間に余裕ができた」と公言する人はいません。

その理由とは「しなければならないこと」が増えているからとしか思えません。例えば、便利な家電が出来ても食事の「普通」がどんどんレベルアップしているのです。洗濯の頻度は昔より相当増えています。家事だけではありません。入浴の頻度やスキンケア、ヘアケアの手間と頻度も増えています。

業務上、遠方の顧客からクレームが入った時、以前なら電話で済んだことが新幹線や飛行機があることで飛んでいくことが当然とされる空気が流れます。このように、どんなに時短を駆使しても、それを上回る「しなければならないこと」が上乗せになれば私たちは永遠に「暇」な時間を手に入れることはできません。

「忙しい」は美徳か?

同時に「忙しい」は声高に言えるけれども「暇」とは言いにくい雰囲気も日本にはあります。忙しいことが美徳で他者から必要とされている証である解釈です。その価値観が根底にある限り、「時間的ゆとり」は永遠に生まれない状態を作ります。だからこそ、せめて家事くらいは、時短テクから離れてみても良いのではないかと思っています。

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