みんなで「せーの」で一斉に傷んだ服を着たら。

もっと簡単に暮らせ

2017年7月22日発売

おかげさまで第4刷決定しました

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多くを持たずに「オシャレ」と思われたい。

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これは、多くの人の理想です。

けれども「オシャレ」とは実は自分のものであって自分のものではない側面があります。当然ですが「見る人」「評価する人」の存在があってこそです。

「そんなことないわ。私は自分がオシャレと思うものが大事で他人の評価なんて気にしない。」

・・という意見もあることでしょう。

確かに、家の中で着る服や、プライベートな親しい間柄で過ごすときに着る服は「自分が着たい服」を着ると思います。

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実はオシャレとは相対的な物

けれども、たいていは「オシャレと思われるには何を着ればよいか?」の根源とは実は「評価されたい相手」を意識しています。例えば、職場で、ご近所で、ママ友で、学生時代の友人とで・・

相手を意識した場合、最低ラインは「金銭的に大変そう」「不潔っぽい」と思われないことです。みんな口にしませんが、最低ラインはみんな無意識にこの部分をクリアしようとしています。

本当はブランド物の服を買うお金を持っていても、今の日本では、劣化している服を着て行けば「金銭的に大変そう」「不潔っぽい」という印象を抱かれるのが普通でしょう。そう思われて得することはそんなにないので、たいていは少しでも劣化した服や「いつも同じ服」を着ることにためらいを感じます。

これが、外国での、多少毛玉ができていたり、生地の色があせていてもみんながそういう服を平気で着ているような国民性であれば同じ服でも「大変そう」とは思われません。劣化した服も、「いつも同じ」服も「みんなで着れば怖くない」のです。

今の日本では、新しくて少しも傷んでいない服を着るのがベースです。だからそれ以下はないのです。その結果、誰もが次々と新しい服を買わなくてはいけなくなってしまいます。結果としてクローゼットの中に対して傷んでいない服があふれることになります。

このような現象をストップする方法があるとすれば、「せ~の」でみんなで一斉に多少傷んだ服でも着るのが普通の価値観になることです。

つまりオシャレとは個人のセンス云々以前に相対的な側面があります。

自分の事のようですが実は世間一般の広い価値観と無関係ではいられないのです。

高価な服を着ている人が珍しい時に、一人だけ高価な服を着ていれば目立ちます。オシャレ、と思われます。けれども、高価な服を着る人が一人増え2人増え、3人増え・・そしてついには高価な服を着ている人が多数になってしまうと、もはや高価な服は「普通」になります。

するとまた「オシャレ」と思われたいがために「もっと服を」と抜きんでようとした人がもっと高い服、もっと別の服を着ようとします。そしてまた、それぞれの差がなくなってしまうと、それそれの人はすでにオシャレなのに他者と比較すると変わり映えしないので少しも満足できないという悪循環にはまってしまうのです。

高価な服=オシャレとは限りませんが、現実はそういう側面があります。

極端な言い方をしてしまえば、抜きんでる人がいるからオシャレと思うのであって、全員が同じようにオシャレしていてもオシャレとは思われません。実際に、そのような現象が身のまわりで起きています。

ユニクロのようにシンプルな服は、バブル時代には割と高価な店にしか扱いがありませんでした。そのため、当時はシンプルな服はそれだけでオシャレな雰囲気がありました。ところが今やシンプルな服は誰でも安く手に入れられるようになりました。

おそらく、30年前の日本人の普段着と現在とでは普段着のレベルが全く違うはずです。確実に30年前よりかなりの人がオシャレになっています。ところがそれはみんなで「せーの」で同時進行的にオシャレになっているのでお互いに自分たちがオシャレであると思う人はいません。

常に「どうしたらいいか」と着るものに悩み続けているのです。実はすでに十分オシャレになっているのに、お隣の家の奥様とママ友と比較しても同じような感じだから「自分がオシャレになった」と自覚できる人がいないのです。

30年前と比較して、服を気軽に買えるようになり、シンプルな服を手に入れやすくなり、十分センスが良くなってオシャレになっているのに、誰しも「どうしたらオシャレになれるのだろうか」と延々悩み続けています。

すでにその悩みは解消されているのに・・です。

解消されているのに、なぜ悩み続けるかというと、誰かと比較してのオシャレを求めているからです。つまり、本当のところ、オシャレになりたいというよりも、誰かと比較して優位でありたい。それこそが本音であったりします。

私は外国を旅したことはありません。けれども、おそらく、普段は日本で暮らしていて「オシャレ」に悩み続けている人が、外国をたとえばバックパッカー的な旅をしたとすれば日本での「オシャレ」の悩みも迷いもどこかに消えてしまうはずです。

つまり、「オシャレでありたい」という思いは実はファッションの問題だけではないということです。何か他の人と比較して「すごい」と思われたいという思いです。

なぜ、そう思われたいのかというと、自分の存在を実感したいからです。漠然と平均的であるよりも何か「すごい」と思われるものがあると自分を確実に意識できて安心するからです。

ファッションのことばかり「何を着たらいいか」と考えているのをやめて、別の事に興味が向くと案外、オシャレの迷いや悩みは激減します。もちろん、多少は考えます。ですが一番重要なことではなくなるので、そんなに気にならなくなります。

服の迷いや悩みが多い時というのは、実は服のことではなくて自分の現在の生き様についての迷いであったりします。

ただ、こんな風に書くと誤解をされそうですが、私は「オシャレ」を否定したり不要と思うことはありません。実際にオシャレな人は楽しそうで前向きな印象を受ける人が多いと思います。真の意味でのオシャレは心が豊かになるので必要だと思います。

今の日本では物質的なものは、手に入れやすくなっています。そのため単に「持っている」だけでは他者との差を実感できなくなってしまいました。昔であれば持ち物の差が他者との差でもありました。ところがそれは、ほとんど埋め尽くされてしまったがために、今は物以外の部分「オシャレ」で差を出そうとする傾向が強くなってきているのでしょう。

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