「こだわりのある暮らし」は、もはやダサい。

もっと簡単に暮らせ

2017年7月22日発売

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こんにちは

こんにちは ちゃくまです。

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もしかすると、もはや「こだわりのある暮らし」は、ダサイんでしょうか?ちょっと前まで「お金をかけずに心豊かに暮らすコツは、余分な物を持たないけれど、持ち物はどれも『こだわって』選び抜いた好きなもの」に囲まれるのが理想」という本やブログを見て、大いに憧れてマネをしたり目標としてきました。けれども、最近になって「何かおかしいな?」と思い始めたのです。その理由と結論についてまとめてみました。
ちなみに、少し前に旧ブログでこんな事を書いていました。

それから、「イギリスは美味しい」の著書で有名な林望氏の著書に

「使用する人が多いけれど、品がない」とする使い方の事例として、好きな物、厳選して選んだものなどのことを「こだわり」と誤って多用する昨今の傾向のことが書いてありました。記憶によると、その内容は・・

本来、『こだわり』とは執着心を表現する言葉で、どちらかというとマイナスのイメージがあるもの。だから大の大人が『こだわりの逸品』のような表現をするのはよろしくない。

・・といった話だったと思います。(詳細が違っていても記憶で書いているのでご容赦下さい。)

これを読んで以来、自分のブログなどで「こだわり」を原則、NGワードとしています。

この本で言っているのはあくまで言葉の使い方、文章の話です。けれども、「こだわりがある」というのは、一見、良い物を選び抜く審美眼があり崇高なようでいて、実はものすごくエゴが強く、融通か利かず、幼いことでもあるのかもなあ~と思ったのでした。

もちろん、融通が利く事と、何でもテキトーで妥協の連続というのとはちょっと違います。けれども、こだわりとは裏を返せば執着であるわけで、もともと執着を手放してスッキリしたはずが、またまた執着を持って物を選んでしまうというスパイラルにはまる落とし穴でもあるのだと気付いたのです。

と言っても、実際は、気に入らない物より気に入った物を持ちたいわけです。普段のちょっとした買い物でも結局は何かしらの「こだわり」を持って選んでいます。何県産の野菜を買うとか、白砂糖を使わずに、てんさい糖を使うということも「こだわり」のひとつです。

けれども、例えばいったん「白砂糖を使わない」という「こだわり」を持ってしまうと、途端に不自由になってしまいます。白砂糖は安く、コンビニでもどこのスーパーでも買えます。ところが「てんさい糖」はそうはいきません。コンビニでは絶対に売っていないし、スーパーでは売っている店とそうでない店があります。となると買い物する店が限定されたりするという不自由さが発生します。

その点、何も気にしない人は本当に自由です。砂糖と言えば白砂糖。何も考えずにそれを買ってくる。その結果、本当に健康に影響があるのかどうか、よくわかっていない事は多いですね。今回はたとえ話に砂糖を持ち出しましたが話したいのは砂糖の話ではなく、「こだわり」を持つ生活は良いのか良くないのかってことです。

結論から言うと、限度はありますが「不自由さが増す」という点に置いて、あまり良くないのではないかと思っています。もともと、私が持たない暮らしを始めたのは「自由度」を高めるためです。ところが気がつくと「何かを買おう」と思ったときに、色、形、サイズ、価格、仕様・・にこだわりを持ちすぎることで「どこにも欲しい物が売っていない。」自体になることがしばしばあります。それは無駄遣い予防には画期的ですが、以前のようにシンプルに買い物を楽しめなくなったなあと思っています。この件に関してはまだまだ検討の余地ありで、課題が山積みです。

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