「持たない暮らし」を極限化した先にあるものとは?

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こんにちは

こんにちは ちゃくまです。

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「江戸時代の庶民は個人は小さく暮らし他は共有物で暮していた」らしいが・・

住まいとは、衣食住だけで成り立っているのではないのだなと実感します。でも、江戸時代あたりの庶民の多くは長屋暮らしだったと言われています。その住まいは4畳半程度で家族3人どころか4人とか6人とかが同居していたらしいです。布団はうすっぺらい長座布団のような物で持ち物は限られていたそう。トイレは、井戸は共用なのでプライバシーはともかく、それで成り立っていたんですね。

環境とコスト的にはOKだが、今、自分はその暮らしを望まない

環境の観点などからすれば合理的だし生活コストも少なくて済みます。必然的にコミュニティも生まれます。良い点は多いのですが、では今、「そういう暮らしをしたいか?」と問われると「NO」です。小さく無駄なく暮したい気持ちはあるけれど、プライバシーは確保したい。過剰なコミュニティは要らない。そんなところです。

地方のコミュニティが活発な本当の理由

地方の不便な地域の人ほどコミュニティが活発なのは、理由があります。それは自然が厳しいからです。自然の驚異は多大です。安全にくらすには人手や設備がより多く必要です。それに対してお金が無限にあれば、設備を整えたり人を雇ってカバーできる部分が多いのですが、そういう人は少数でしょう。行政がカバー出来るのも限度があります。

都会の人が地方の人を純朴と思うのは理想と推測。人はどこに住んでも皆同じ

となると頼りになるのは同じ地域に住む人の協力です。必然的に生きるためにコミュニティが発生するのです。地方の人は人情深く素朴だからではありません。人の基本的な感情は都会だろうと地方だろうとたいしてかわりません。都会の人が地方に住む人を純粋、純朴、と思うのは「そうあってほしい」という理想と推測に過ぎません。都会だろうが地方だろうが、同じくらいの割合で優しい人もいれば、そうでない人もいます。

共有物が多いと個人の暮らしは小さく済むが、そのデメリットとは?

話を元に戻すと、自分の持ち物を減らし、共有する部分が多いと個人の暮らしは小さくて済むようになります。その代わり、今度は別の問題が発生します。共有物について、「お互いに不公平感を抱かず公平に利用できるのか?」ということです。小さな共同体の場合はそれほどでもないかもしれませんが、規模が行政単位、国単位と大きくなると難しい面が発生していくだろうなと推測します。

共有物が増えるとプライバシーが低下する

また、共有部分が増えると各自の自由とプライバシーは低下します。プライバシーの低下を通り越すと「監視」になります。それはいたたまれません。地方暮らしが息苦しいと思うとすれば、住民同士が「付き合い」というなの「監視」をしているような側面があるからです。「隣の嫁さん最近、服装が派手になったたあ。」とか「いつもは8時に車が出ていたのに、最近は7時になった。職場を変えたのか?」のような感じです。裏を返せば困り毎にも周囲の人が気付いてあげられると言う良い面もありますが・・その辺のバランスをうまくとれるかどうか?がポイントになるんでしょうね。

共有を極限化した先にあるものとは

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「共有することを極限化」していくと行き着く先は極端な話、「個人所有を認めない」となります。対して個人で所有することを認める社会は、競争が起きますが発展や発見をもたらします。反面、もともと競争を好まない人や、そもそも競争に参加できない立場の人は弱者となります。そういう人をどうやってカバーしていくか、また本当の弱者とそうでない人の見極めはどうするのか?その判断基準は?現在も色々な課題があるわけです。

個人所有を認めないと共同で所有することになります。これは競争が起きなさそうだし、弱者が生まれなさそうです。お互いの持ち物で見栄を張る必要がなくみんな平等です。一見、良さそうですが、でも抜きんでる能力のある人がそれを発揮した結果のモチベーションがどうなるのかという問題と、「やってもやらなくても同じならサボってしまおう」と考える人が増えて全体として堕落していく可能性も危惧されます。

完全に自己所有のない暮らしは望まない

「持たない」と言っても、「完全に自分の所有物がない状態」というのは、よほど仏陀さんとか、マザー・テレサさんクラスの人物でないとかなり難しいだろうなと思います。おそらく、「ミニマリスト」と言っても、多くの人が「ほどほどの物は自分で所有していたい」んであって、「完全に自分の所有物を持たない」ということは望んでいないと思うのです。

自己所有物は自由である

その理由は自由度の有無です。(仏陀さん、マザーテレサさんクラスの方の「持たない」理由は別にして)原則、自分で所有しているものは自由があります。選ぶ自由、使う用途の自由、手放す自由です。けれども共有物をはじめ完全に自分の所有物でないものには自分一人で判断する自由がありません。他のみんなの意見をその都度聞いて承認を得なくてはいけません。

共有物の割合が大きくなると、まとめるリーダーが必要になるが、的確とは限らない恐れが出る

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みんなの意見を聞くという段階が必要になると、それをとりまとめるリーダー的役割の人物が必要になります。そこで問題になってくるのは、そのリーダーの資質です。立場を利用して共有物の一部を懐に入れようと考え・・ない・・とは限らないからです。また、ひとりではその役割を完全にこなせませんから段階的に部下のような立場の補佐する人物が必要になります。するとリーダーは的確な人物でも補佐的役割の人物全てが的確だというのはかなり難易度が高くなると推測できます。

紙に書いたように理想がうまくまわれば、全ての人が満足できる暮らしができるかもしれません。けれども現実は難しいでしょうね。

まとめ

競争できる社会というのは、自由があるからこそです。公平というのは裏を返せば自由がありません。どっちが良いか良くないのかとは言えません。今、私たちは自由に物を所有して使って手放す事が可能なものに多くを囲まれて暮しています。所有欲の原点は見栄という競争意識のことがあります。その結果、周りは物であふれて所有欲やお互いの見栄などが発展し気がつけば物であふれています。なので所有欲や競争は良くないこと・・と思いそうになります。けれども、果たしてそうなのでしょうか?何事も極端に行きすぎた結果が良くないのであって所有したい、競争したいと思う気持ちは決して否定的な要素ばかりではないと思うのです。

こうしてみると「小さく暮らす」のが効果的に自由に機能するのは、多数の「大きく暮らしたい人」の存在があっての事なのかもしれないなあと思うのでした。

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